親だから責任

親の責任って。

先日、地域のこども達のサポートをしてくださっている、先輩方々のお話を聞く機会がありました。


毎朝、不登校ぎみの小学生をお迎えに行くと
母親は出てこない、朝ごはん食べてない
こどもに意欲はない、家は散らかっている


親として、生活を整えることは
当たり前の事だと思うけど


連絡も取れないし
食事も受け取らないし
今の時代の母親はどうなってるのか


わたし達の時代からは考えられない


そんな話を伺いました。

そして、
そんな母親や息子を支援する為には
どうしたらいい?と質問してくださいました。




こどもを産む決断をしたのも親だし
最低でも最低限のこどもの環境はつくってあげることが母親としての責任だと思います。


わたし達の活動でも
究極だ!!と思う
課題だらけの実情に出会うこともあるんですが、
どうしたらいいのか?の答えが見当たらず
ずっとごはんを届け続ける。という事も多くあります。


ただ、いつも思うのが

「課題」と思う事も
人それぞれだなって。

側から見て“困ってるだろう”は
意外と本人的には普通だったり、

“問題点”と思っている箇所も
全く的外れだったりする。



その“困ってるだろう”の的より、
「まだその手前なんだよ。」って
「その手前に問題を抱えているんだよ」って
言われているようにも思います。

生活レベルの基準を
誰かの「普通」で
比べられるのは
とてもキツイ。
世の中に合わせなくちゃと思う事こそ
ストレスである。


「でも、こどもの事を考えると・・」

ちゃんとしてあげてほしい。
最低限のことだけは。

誰かに頼ってほしい。
地域と繋がってほしい。


と、周りは思う。


その微妙な距離感が
もしかすると上手く混ざりあえない
原因のひとつかもしれない。




母親も人間だから。

「お母さん」という立場じゃない
「ひとりの人」という立場が基本だから。





「無責任な母親だな」

って心のどこかで
思われて接してきてる人と
そうじゃない人は分かる。

少しの言葉の言い回しで
その人の中で持っている基準が
見え隠れする。




信頼している人には
必ず心を開いてくれる。


母親も人間である。
って事が、いつの間にか

母親としての「責任」という
ジャケットを羽織りすぎなくちゃいけない
場面が多く訪れ

ジャケットを脱いだ姿を
見せたらいけないと思い始めたり。



サポートしてくださる方々が
そのジャケットを脱いだ状態の
ひとりの女性としても

母親を見てもらえると
とても助かります。



umau.

福岡県久留米市にある 【実家よりも実家ーじじっかー】を拠点とし、 母子家庭の発想から生み出す小さな事業 ーSingleMothersPresentsBusinessー の展開をしている会社。

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