娘や息子というアイデンティティ

最近気づいたことを書きます。

きっと、うまく書けなくて、伝わらないと思います。



じじっかは、

サードプレイスではなく、ゼロプレイス。

地域の居場所ではなく、みんなの実家。

友達や知人ではなく、血縁のない大家族を!と思い活動をしています。


が、


大家族になれたら孤立しなくなる。とか、安心する。とかを望んでいるのではなく


じじっかの役割は


誰もが、何があっても「娘や息子」というアイデンティティを持ち続けて生きる状態をつくりたいんだ!!!!!!!と発見したのです。


安心ってなんだろう。幸せってなんだろう。今の社会に必要なものってなんだろう。って考えても正解はなく、個人的な考え方だったりで分かりません。


だからこそ、独自の価値観で、必要な方に届くようにと活動を続けていますが

一番じじっかが保ちたいものは

いつ何が起こっても、一生「娘や息子」という立場が消えないことなんじゃないかって。



誰かの娘や息子って、もちろん当たり前のことだけど、

そう感じる環境って、ない人も多いと思う。


ひとり親家庭の親が亡くなった。

親が子を育てられなくなった。

親子が合わなくて一緒に生きることをやめた。

この人には娘や息子と思われたくない。

そんな環境も地域には存在します。

これが決して不幸という事ではありません。

でも、人が生まれた瞬間に持つアイデンティティって

「人間」「日本人」「娘・息子」というものが一番最初にできる立ち位置なのではないかな。


その大切にしたい最初に出来ること「娘・息子」という立場だけは、相手が存在する。

親という相手。

時間がたてば、この相手がいなくなることも多いにある。


その瞬間、「娘・息子」という立場が失われるのは、ちと寂しい。


子ども時代に、相手がいなくなった子ども達は、児童相談所やファミリーホーム等に住む約束がなされていて、とても安心な日本社会。

里親制度も広がってきて、娘や息子として育ててもらえることにも感謝。


ただ、その「娘・息子」という立ち位置が、家庭を示したり、一緒に住むことを示すものではなく、「生きる為の安心」を示すものだと考えると、


たくさんの人々に「娘。息子」と思ってもらえる社会は、希望を捨てず、立ち向かう強さを持って、人に感謝できるための、大きな力になるのではないかと思う。


じじっかでは、「おかえり!」というと、「わたしの家ではないよ!」と教えてくれる子もいれば、「親みたいに言わないで」と伝えてくれる子もいます。


全然、それはそれでいいんだけど、

そんな風に家族として、親として、想って伝えていける環境は、

もしかすると、現代に必要な感覚なのかもしれないと。


じじっか的には思うのです。

umau.

umau.

福岡県久留米市にある 【実家よりも実家ーじじっかー】を拠点とし、 母子家庭の発想から生み出す小さな事業 ーSingleMothersPresentsBusinessー の展開をしている会社。

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